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August 30th
2011

通い詰めたアンダマン・ニコバル諸島(1)

カテゴリー: India, My Mother Earth, Weblog

拙ブログの名称は「フォークランドの風」ですが、実はこれまで一番訪問回数が多い国はフォークランドではなく、インドです。

インドは・・・正確に数えることももはや困難になっているのですが、間違いなく60回は訪問しています。ここ数年はインドでの仕事もなく、すっかりご無沙汰なのですが、90年代は1年に平均4~5回は行っていました。その頃は、特別に「5年ビザ」というのをインド大使館からもらっていて、いつでもインドに行ける状態でした。

 

それにもかかわらず、このブログでは殆どインドの記事は書いていないな・・・とふと気がついたのです(汗)。インドを暫くぶりに思い出したのは、長年のテレビ取材の現地パートナーが、10月に来日するという知らせを昨晩受けたからなのでした。

 

暫く行っていない間に、都市部は目覚しい発展を遂げ、今行ったら間違いなく浦島太郎状態になると思われますが・・・私が足しげく通っていた頃の90年代のインドは、本当に本当にまだまだ「摩訶不思議」「混沌」の言葉がぴったりとくる国でした。

 

60回を超える訪問では、本当にあちこちに行きましたが、中でも5~6年間に渡って毎年訪問した場所があって、それがアンダマン&ニコバル諸島でした。


 (流刑の島の刑務所跡・セルラー・ジェイル/A&Nポートブレア)

アンダマン&ニコバル諸島は、インド亜大陸の東のベンガル湾南部に浮かぶインド領(連邦直轄領)の島々です。今でこそ大分開発が進んでいると聞きますが、私が足しげく通っていた頃は、まだまだ秘境の雰囲気溢れる場所でした。

日本人にはその存在を殆ど知られていなかったと思いますが、2004年のスマトラ島沖地震による大津波で被害を受け、それがニュースなどで報道されたので、名前だけは耳にしたことがあるという方々も増えたかも知れません。

 

このアンダマン&ニコバル諸島(以下A&N)、実はかつて日本の統治下におかれたことがありました。「インパール作戦」については比較的よく知られているので、第二次世界大戦中のインド亜大陸内における日本軍の進軍については、ご存知の方も多いかも知れませんが、A&Nにおける日本軍による統治時代については、殆ど知られていないかと思います。

 

私がこのアンダマン&ニコバル諸島を10回以上訪れることになったのは、報道番組、ドキュメンタリー番組のロケハンや取材が主な目的だったのですが、そのリサーチについては仕事の枠を超え、もはや個人的興味においても、熱心に足しげく通ったのでした。


 (日本軍の司令部が置かれた、もともとはイギリス人邸宅だった建物) 

この島には2つの大いに興味を惹かれる側面がありました。1つは先述のように第二次世界大戦中に日本の統治下におかれた場所であること。そしてもう1つは、未開の先住民族が住む場所であること。

 

私がこの島に通っている頃、この諸島を訪れる日本人は皆無。そして、それまで訪れた日本人もごくわずか(第二次大戦中を除く)と言っていいほどでしたので、島には日本統治時代のたくさんの貴重な資料・遺跡、そして何よりも貴重な生き証人が残っていて、貴重な資料の多くを、現地の方々の篤志により頂くことが出来ました。

こちらの関係については、資料や生き証人を追って、インド各地を巡っただけでなく、イギリスにまで行って関連の調査を進めるなど、仕事の枠を超えても、私が本格的に取り組んできたライフワークの1つで、その頃のことを思い出しただけでも、胸が熱くなります。

手前味噌になりますが、このアンダマン・ニコバルにおける1)日本軍の統治時代、2)未開の先住民族の研究については、私が日本での先駆けの存在ではないかと自負しています。

 

こちらの第二次大戦・日本統治時代関連の話は長く複雑になるので、最初にまず「未開の先住民族」のことを先に書くことにします。

 

こちらに関する調査については、まず大きかったのが、インド人類学調査機構のパンディット博士との出会いでした。初めてA&Nを訪問する前にA&Nの先住民族のことについて調べていて、パンディット博士が第一人者であることをつかみ、現地でその教えを請い、交流を深めたのでありました。博士のA&Nの先住民に対する情熱や愛情は深く、それこそが私が更に探究心を深めていった原動力でした。

 

一昔前の日本のテレビのバラエティ傾向のあるドキュメンタリー番組で、「秘境の未開の部族民に世界初接触!!」などと派手な看板を掲げた番組がよくありましたが、大抵は、「アディダス」とか書かれたTシャツを着ている人がいたり、調理器具や生活小物といったところのそこかしこに、現代の生活物資があったり、そして何より、通訳を介して言葉による接触が可能だったりするので、私としては大きな違和感を感じながら見ていました。

 

ところが、このA&Nに住む先住民。部族種としては5部族あって、4部族は程度の差こそあれ、なんらかの形で既に外界との接触を持っていたのですが、1部族だけ、ひたすら外界との接触を拒み続け、今でも石器時代さながらの生活をしている部族がいました。その名前はセンチネル族。ノースセンチネル島に住んでいる部族でした。

今でも外界と一度も接触を持っていない未開の先住民族は、世界中で100部族ほどいる、といわれていますが、このセンチネル族もその1つというか、おそらくはその中でも最たる存在かと思われます。

先述のパンディット博士が主体となって、インド政府が数回彼らとのコンタクトを試みたのですが、その調査船が近づくと毒矢を放ってきて、船は全く近づけず、その毒矢による犠牲者も出ました。

博士は矢を放ってくる彼らの姿や、彼らが使っている道具などを望遠鏡で見たそうですが、まさに姿も生活ぶりも石器時代そのものだったそうです。私も、その時撮影されたフィルムを見ましたが、この現代社会でまだこんな暮らしをしている民族が!!・・・と本当に衝撃を受けました。

 

結局、インド人類学調査機構を通じてインド政府が行った接触の試みは失敗に終わり、インド政府としては、センチネル族に関してはもうアンタッチャブルで行くという方針になりました(その後2~3転したようですが、結局は未接触のままです)。

 

そして、2004年のあの大地震。
A&Nも津波で大きな被害を受けました。この被害調査とそして支援のために、インド政府は北センチネル島の上空にもヘリを飛ばしたのですが、またもやヘリに向かって矢の攻撃が始まったので、そのまま戻ってきたようですが、上空から見た感じではどうやらセンチネル族の被害は少なく、おそらくは昔からの知恵でこの津波を乗り切ったのではないかと推測されたそうです。

 

2006年には、インド人漁師2人の乗ったボートがノースセンチネル島に漂流してしまい、それを見た別の漁船の連絡を受けヘリが救助に乗り出したようですが、既にこの漁師2人は海岸で殺されているのが確認され、その遺体収容も矢による攻撃により失敗に終わったという事件もあったようです。

 

今でも時々、A&Nのことを思い出しますが、センチネル族はどうしているんだろう・・・とも考えます。先述した現代社会と接触を持ったほかの少数部族たちは、ニコバル族のようにうまい形で現代社会と融合できた部族もいた(→人口はもっとも多いのですが、2004年の津波被害が一番酷かった部族)のですが、グレート・アンダマン族のように現代社会との接触により、彼らが全く免疫がなかった伝染病や性病・酒やタバコといった現代の毒で多くが命を落とし、民族消滅の危機に瀕している部族もいます。現在グレート・アンダマン族は、自治政府が作った保護区のような村で暮らしていますが、既にかつて誇った伝統や誇りは失われ、生活保護などに依存する生活です。別の先住民族のオンゲ族も大幅に数を減らし、様々な保護を受けている状態。残りのジャラワ族とションペン族は、90年代末頃から外界との接触もちょぼちょぼとあるようですが、まだ自分たちの伝統生活を維持できるレベルのようなので、何とか彼らが望む方向でうまく生活ができることを祈るばかりです。

ただ、伝統の狩猟採集生活をするにしても、近海の海でミャンマー人やインド人が海洋資源を乱獲し、なかなかその生活環境は厳しいようなので、何とも哀しいものを感じます。

 

次回のインド記事は、A&Nにおける日本軍の統治について書きますが、これは戦争という尋常ではない状態の中でとはいえ、日本軍の統治下で、現地の人々はかなり過酷な状態に置かれたようです。

 

あ、それから最後になってしまったのですが、長らく悩んでいた一時帰宅の件。残念ながら追加申請が通らなかったので、明日両親2人だけで最後の一時帰宅に行くことになりました。いろいろ複雑な思いはありますが・・・仕方ありません。

いろいろご心配くださり、親身なアドバイスをくださった皆様、本当にいろいろお世話になりました。改めて御礼申し上げます。

 

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コメント / トラックバック16件

  1. Uk より:

    不勉強にて、今の今までアンダマン海の島々は、てっきりビルマやタイの領土だとばかり思っていました。
    場所的に、インド領だとはどうしても思えないイメージなんですよね(>∀<;)
    まあ、あの辺りで日英海軍の海戦もあった訳だから、司令部があっても不思議じゃないんですが、それにしても
    毒矢を放ってくる部族がいる地域に、よくぞ足を踏み入れたものです。帝国海軍とTABIさん、恐るべし!

    申請の件は残念でしたね。関連のニュースが流れるたび、思う所は色々とありますが、恒久的な除染が
    少しでも早く上手くいくように祈るばかりです。

  2. 深いですね~。
    アンダマンなんて、「アンダマン海峡」という言葉しか知りませんでした。>。< 
    その頑なな排他性がなぜ保たれるのか、できれば、聞いてみたいですねぇ。聞く前に毒矢で射られそうですが・・・。

  3. くみ より:

    そこまで排他的な部族がいまだ
    いるなんてびっくりです。でもそこまで
    排他的だからこそ保たれているのか・・。
    TABIさんて本当に色んなことを知ってますよね~。
    TABIさんの頭の中ひっくり返してのぞいてみたい。
    ペンギンのオマタばっかりでてきたりして( ´艸`)。

  4. トム より:

    (@_@;)全然わからない・・・(汗)
    またTABIさん情報が上塗りされました♬

    センチネル族、話を聞くだけでも凄いですね~
    きっと世界のあちこちにまだこういう部族の方々っていらっしゃるんでしょうね。
    インドもまだ行ったことがないので、行きたいな(=^・^=)ノ

  5. 斎藤美香子 より:

    Ukさんへ

    コメントありがとうございます。
    いや…あの辺の島々がタイやミャンマー領だと思っている人がほとんどだと思います。
    実際アクセスする時も、「バンコクから直接いければすぐなのに・・・」と思ったものでした。

    そうです。大戦中あそこは軍事的にかなり重要な場所でした。今でも軍事的に重要な意味を持っているので、海軍が駐留していたり、外国人の立ち入りを制限しています。

    毒矢を放ってくる島は、外国人・インド人とも立ち入り禁止区域にありますし、本島から離れた小島なので、イギリスや日本時代の圧力、そして現代の圧力も受けずに今の姿が守られたのです。なので、私が毒矢でなんとかなる危険はなかったのですよ(爆)

    今日、両親が最後の一時帰宅をしました。
    ウチは件の原発からは10km程度はなれているのですが、ご存知のとおりの直後の北西方面への雨風により、土壌汚染が最悪な場所にあるので、おそらくは「帰れない地域」とされると思います。残念ですが(涙)

  6. 斎藤美香子 より:

    シャンティcocoさんへ

    深いですか?私にとってはcocoさんの飽くなき好奇心と探究心の方が深いです(爆)
    アンダマン海をご存知なら、よい方だと思いますよ。それすら知らない人がほとんどじゃないですかねえ・・・。

    かたくなな排他性・・・う~ん、結局彼らには外界がどうなっているのか全く情報がない(たまにヘンな空を飛ぶ生き物→ヘリとかが来るとか、恐ろしいほどスピードの出る海を行きかう乗り物→船がくる、みたいな感じかなあ?)でしょうから、とにかく外界は恐ろしいもの、という意識でいるのか、或いはなんらかの手段で、他の部族民が滅ぼされた(→実際は滅ぼされたのではなく、絶滅の危機にあるという感じですが)という情報を得ているのかも知れません。その辺はいろいろ想像できますね。

  7. 斎藤美香子 より:

    くみさんへ

    ホントにそう思う~。
    テレビとかで「石器時代の先住民に遭遇」とかやってても、何故か通訳を介して言葉が通じたりするじゃない?(笑)。
    でもセンチネル族は、生活様式から言語から何から、一切謎なのよね~。
    A&N本島にもコンピューターとかが入っているのに、そこからわずか数十キロ離れた小島では石器時代なんて・・・想像つかない!!

    ペンギンのオマタ(爆)。いや、頭の中はそんな煩悩や、あんな(→なんだ?:笑)煩悩とかで一杯よ(爆)

  8. 斎藤美香子 より:

    トムさんへ

    最新のTABI情報は、庭のレベルで確認してね(爆)

    トムさんは、フォークランドに行く前に、まずはインドの山奥で修行した方がいいかも知れないわね(爆)
    あ、今言った行は、ダニーあたりがよく知っている年代だけど、トムさんは知らないわね。キャハハ。
    山奥にはダイバダッタという人(?)がいるのよ。ダニーに聞いてね。

  9. リリス より:

    アンダマン・ニコバル・・・聞いた覚えのある島の名ですが
    インドの何処に位置するのか?と思わず世界一地図を広げて
    ベンガル湾南部にアンダマン諸島とニコバル諸島を見つけました。

    ここが大日本帝国軍の支配下に置かれていた時代があったのですね。
    こんなところにインドと日本の接点があったなんて驚きです!

    一時帰宅の件、先日ニュースで見ながらTABIさんはどうされたのだろう?きっとその日の心の赴くままに
    行動されたのだろうなあと思っていました。
    追加申請が間に合わなかったのは残念ですが・・・行くなという事だったのかも知れませんね。
    こんなコメントしか出来なくてごめんなさい。

  10. かよぱ より:

    世界中に、知らない場所がいっぱいあります。
    いろいろ見せてもらえて幸せで寸。
    TABIさんを惹く場所っていっぱいあるんでしょうけど、TABIさんが惹かれたと感じる場所にしてみれば相思相愛で相手も喜んじゃいますね。私がアンダマン・ニコバル諸島なら、宇治金時ご馳走するくらいうれしいです。白玉つきだよっ!
    次の記事も楽しみにしてます。

  11. 斎藤美香子 より:

    リリスさんへ

    遅い夏休み中で、お返事遅れてごめんなさいね。

    私がアンダマンに行っていたころは、結構インド人の新婚さんとか、グジュラートあたりからのお金持ち一家が旅行に来てたりしました。結構行くのにお金がかかるところだし。
    海もきれいでいいところですよ。ぜひリリスさんもせっかくインドにいらっしゃるのですから、いらしてみてください。

    一時帰宅の件、本当に親身になって考えてくださって、感激です(涙)
    結果的には、リリスさんのおっしゃるとおりなのかな~と思います。
    ありがとうございます。

  12. 斎藤美香子 より:

    かよぱさんへ

    ほんとに世界は広いですねえ~~。
    そしてかよぱワールドも負けずに広い(笑)
    白玉ですかあ~~~。
    白玉なら私は、あんみつに白玉クリームはうれしいですね(爆)

    その後体調はいかがですか?もう病気とうまくつきあっていくしかないのでしょうが、日常生活のいろいろ注意しなくちゃならないこととか、慣れましたか?お大事にね~★

  13. しの より:

    はじめまして。

    祖父が戦時中ニコバルに行ってました。
    『おじいちゃんは大カールニコバル島と小カールニコバル島とある
    所の小カールニコバル島に居た。現地の人に意地悪した人は、あとから外人に殺された。』

    そんな話をして、善と悪、正義と誠意の意味を、幼少の私に語りかけ
    ました。

    戦時中は、銃を撃った事がないと、祖父は言ってました。

    もう、10年以上も前に82年の生涯を終えましたので、それ以上の
    本当の話は聞けませんが。。

    ニコバル諸島・・・・、行きたくても遠い場所です。

  14. 斎藤美香子 より:

    しのさんへ

    はじめまして。コメントありがとうございます!(^^)!
    そうですか、おじい様がニコバルにいらっしゃったのですね。大ニコバルには以前船で行ったことがあります。
    残念ながら、アンダマン&ニコバル諸島関係では、戦犯に認定されてしまった日本兵が比較的多かったのですが、戦況が悪化する前の占拠初期はかなり現地民との関係は良好で、私が通い詰めて現地民にインタビューしていた頃も、いい思い出しかないと語る現地民も少なくはなかったですよ。特にニコバル諸島(ニコバル族というモンゴロイド系の顔立ちをした人々が暮らしています)の住民と日本兵の関係は、悪くなかったようです。
    私が行っていた頃は、日本統治下の経験者も多かったですが、そのうちのお年を召されていた方々はもう今は大分お亡くなりになっただろうと、時々現地に思いをはせることがあります。

    おじい様からはとてもいい形で戦争のお話をお聞きになったのですね。なんとなくコメントを読んでそんな風に感じました。

    行きたくても遠い場所・・・そうですね。外国人ですとアンダマン諸島のポートブレア周辺しか滞在許可が下りないので、ニコバルの方に行くのは難しいですね。
    素敵なお話をありがとうございました。

  15. Jemming より:

    親父が第二次大戦中 アンダマン、ニコバル島に居たそうなので、

    いつか行きたいと思っています。

    御サイトは大変勉強になります 

    貴重な情報をありがとうございました

  16. 斎藤美香子 より:

    Jemmingさんへ

    コメントありがとうございます。
    この記事を書いてから、Jemmingさんを含めお二人の方々に身内の方々がいらっしゃったというコメントを頂きましたし、その他にもメールの問い合わせなども何件かあった上に、かなりの検索閲覧数があったようで、実はとても驚いています。
    特集したわけでもなく、たった1記事書いただけでこれだけの反応があったということは、やはりこの地域の情報は少ないのだと改めて思いました。

    Jemmingさんの場合はお父様がここにいらっしゃったのですね。ご訪問されたいというお気持ちよくわかります。
    日本軍の統治下を知る現地の人々は今ではだいぶ少なくなってしまったかもしれませんが、私が通っていた10年ほど前は、まだ日本語が話せる現地の人々も結構いました。
    今でも日本軍駐留の名残を思わせる建造物なども残っていますし、自然も豊かで美しい所ですので、ご訪問出来ればいいですね(#^.^#)

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