ここ1ヶ月、2徹1休(2晩徹夜1晩休)の繰り返しのような怒涛の生活で、すっかりブログもご無沙汰してしまいました。
辺境での長期ロケの出発もいよいよ数日後に迫り、あれこれとバタバタしている今日この頃です。
12月の中旬に一旦帰国しますが、すぐに短期出張、そして年末から1月下旬にかけてまた日本を離れる予定なので、留守の前にやらなくてはならないことは目一杯。
そんな中でも、心に重くのしかかっているのが、老齢の愛猫タビを置いて長期で出かけなければならないこと。まあ、年齢の割にまだまだ元気で、病気らしい病気もこれまでしたことのないタビではあるのですが、やっぱり心配。
でも幸いなことに、最近は歳のせいか、元相方とも最近は大分うまくやっているようなので、ちょっとほっとしています。ロケや旅行で留守にする時は、いつも出来る限り2~3日に1度は彼に電話をしてタビの様子を聞くのですが、その電話たるや、毎回挨拶もなしに「タビは!?」と聞いて、一通りタビの様子を聞いたら「じゃあ、引き続きよろしくね」と、まさにそっけない電話。それを脇で聞いているロケスタッフにはいつも「うわ、もう完全に飼育係として利用してるだけじゃん!」などといわれてしまいます(爆)。
でも、タビを溺愛しきっている彼。タビにとってのNo.1である私がいなくなれば、自分を頼りにしてくれるので、何となく私が留守というと、毎回まんざらでもない様子でお互い様なのでした(爆)。
前置きが長くなってしまいましたが、そんなバタバタのここ1ヶ月でしたが、その中で先月下旬、相当の強行スケジュールで、実は原発退避区域の実家に帰ってきました。
以前「もう立ち入り出来なくなる」と書いて、皆さんにご心配をおかけしたのですが、まだ事業所枠許可で帰ることは可能だとその後判明しまして、今回も事業所枠(自営なので)で許可を取って立ち入りしてきたのでした。
しかも今回は、取材カメラ付。知人のカメラマンが同行し、いつもはカメラの後ろ側で取材する立場の私が、今回は取材を受ける立場になったのです。
最後に実家に帰省したのが4月なので、丁度半年ぶり。その半年の間、荒れ果てた故郷の姿や苦しむ残された家畜やペットの姿が毎日のように頭に浮かんでは、心がざわつき、胸が痛む日々の繰り返しでした。時にその関係で非現実的なほどに荒れ果てた故郷の悪夢などを見ることも多く、正直、今回の帰省が決まってからも、嬉しい気持ちと現実を見ることへの恐怖感が入り混じった複雑な心境でした。
両親とカメラマン、私の4人で、車2台に分かれて故郷へ向かいましたが、カメラマンの方を新幹線でピックアップする関係から、仙台を2徹夜明け後の早朝5時に出て、3時間ほどのドライブ。でも、緊張感からか不思議と眠くならず。
そして見慣れた町へ入ると、線量計の数字はどんどん上がっていきます。この半年間の間に帰省した両親や友人に聞いていたとおり、土の出ているところは、セイタカアワダチソウという人の背丈よりも成長する丈の長い草にすべて覆われていました。

(元は田んぼだったところは、完全に草原に)
そして驚いたのが、カラスの多いこと。人間が出すゴミがないのだからカラスなどいなくなっているものと思っていましたが、これは家畜や犬猫などの死体を目当てに集まってきたのかも知れません。
商店街の地盤沈下も進み、町のどこかしこも荒廃が進んでいましたが、それまで恐れていたような悲壮感やこみ上げる気持ちはそれほどありませんでした。その理由の1つは、取材という仕事モードが入っていたこと、そして、何よりも、故郷は実りの秋を迎え、柿の木はたわわに実り、雑草も花や実をつけ・・・と、目に入る光景は荒れ果てながらも、様々な自然の美しい彩に溢れていたためかも知れません。
自宅までの未舗装道路は背丈の高い草原のようになってしまっていて、車で通れる状態ではなかったので、車を停めて、草をかきわけながら歩いて家へ向かいました。
地震で倒壊した蔵はさらに崩壊が進み、母が丹精こめて世話をしていたイングリッシュ・ガーデンは見る影もないほど荒れ果ててはいましたが、地震で家そのものは全く損壊がなかった自宅の中は、すべての箪笥や本棚、茶箪笥などが倒れて悲惨な状態ではあるものの、それでも中に入ると何となくほっとする空間でした。

(母が丹精こめて世話していた美しかった英国風庭園も荒れ放題)

(取材を受ける父)
父が取材を受けている間、私は・・・ずっと心にひっかかっていたことを確かめるべく、家を離れ、隣の家へと向かいました。
以前もブログで書いたのですが、心にひっかかっていたのは、鎖につながれていた隣の犬のその後。4月に一時帰宅した際に、エサを山のようにおいて「この鎖をはずしてあげるべきか・・・でも、あと少しで町ぐるみの一時帰宅が実施される予定だから、あと10日くらい経てば、飼い主も帰ってくるだろうし・・・」と、迷った末鎖をそのままにしてきた2匹の犬たちのことでした。
その10日後に予定されていた一時帰宅は遅れに遅れ、結局実施されたのはそれから2ヶ月も経った頃でした。なので、「あの時やっぱり鎖をはずしてくればよかった・・・」とずっと後悔してきたのです。
草をかきわけて隣の家に向かう最中、緊張で手はじっとりと汗ばんできました。何度も頭をよぎった、餓死した悲惨な遺体が転がる恐ろしい光景・・・
ところがそこにあったのは、
もう犬小屋の屋根しか見えないほどの雑草が生い茂った庭。

(かろうじて犬小屋の屋根だけが見える状態)
トゲのある雑草や、そこかしこに張った身の毛もよだつような大型クモの巣に阻まれて、犬小屋に近づくことも出来なければ、果たしてその草むらの下で犬が息絶えているのか、或いは自然に鎖がはずれてどこかに逃げたのか、或いは幸運にも誰かの救出の手が入ったのかも、推測することは出来ませんでした。
また、生き残っている猫もいるという話も聞いていたので、今回は山のように猫えさも持込ました。庭にエサを撒くと、近所の飼い猫が寄ってきました。

(タビと同じ三毛猫(涙))
でも、以前帰省した母から聞いていたとおり、見かけた猫たちはすべて、やせ細ってはおらず、元気そうでした。
ただ、どの猫も警戒心を強くしていて、触ったり出来る猫は皆無でした。これでは、ペットレスキューもムリな状態です。
途中、津波直後は悲惨な状態だった場所も通りましたが、国道近くまで打ち上げられた船や家の瓦礫なども、犬小屋同様、丈の長い草、特に黄色い花をつけた雑草の草原の中に埋もれ、全く悲壮感は消えて、ただののどかな田園風景のようにさえ見えるのでした。

(ぱっと見、のどかな田園風景にしか見えないかも)
帰る機会があれば帰って現実を見るべきか・・・それとも、その現実に打ちひしがれるのを避けるべきか・・・ずっと迷ってきましたが、総括すれば、「帰ってよかった」という気持ちになりました。それほど胸にこみ上げてくる喪失感や悲壮感もなく、淡々とその現実を目の当たりにしてきた、という感じでした。それは先にも書いたように、取材という仕事モードが入っていたことと、秋の彩りのお陰だったと思います。

(余震でその後、より倒壊が進んだ我が家の蔵)
でも、今回帰省して新たに出来た心配事は、今の草原が晩秋~冬になって枯れはて、乾燥しがちな故郷の冬に、何かの拍子で自然発火、もしくは立ち入った人の火の不始末などで、火が出ること。
故郷は毎年降雪量が少なく、毎日のように消防車が走って「乾燥火事注意報」を呼びかけていたほど。でも、あの枯れ果てた草原で火が出たら、もうあっという間に火は広がり大火事になることでしょう。第一それを消し止める人もいないのですから・・・。
故郷に帰れないのはつらいですが、家はそこにある、と思えばまだ救われます。でも、これが火事で喪失でもしたら・・・悲しすぎます。思い出の品々もまだまだ家にはたくさんあります。帰り道で心を支配したのは、この火事への心配でしたが、とにかく心配しても状況は変わるわけではないのですが・・。
それから改めて感じたのは、「除染の非現実性」でした。
線量は4月に帰省した時の3倍にもなっていましたし、また、局所的には計ってはきませんでしたが、水がたまるようなところなどはきっと恐ろしいほどの高線量になっていることでしょう。
そんなに高線量でもない小学校1つの除染にも、あんなに苦労し、その土などの処理をどうするかでもめているのが現実だというのに、小学校の何万倍何十万倍もあるような、しかも平地ではない、山や丘、川なども含めた土地の除染を、どのように進めようというのでしょう。仮に表面の土を全部削り取っても、その置き場所もなければ、一旦除染しても、水や雨の流れで土地はまた汚染される・・・。
高齢者など長らくその土地で暮らしてきた人たちの中には、どんなことをしても帰りたいと思っている人も多いでしょうが、帰っても産業もなければ農業も不可能、店やインフラも満足に望めないような場所に、若い世代が危険を冒して帰る理由はありません。
私たちくらいの年代なら、放射能で体に異変が起きる前に寿命が来るかもですが、そんなところで子育てするなんて絶対考えられないし、また、ここで育った子供たちが、将来色々な形で差別に遭うのは明らか。
遠く郡山市や福島市で作られた橋げたや花火でも、全国各地で忌み嫌われているというのに、原発から10キロほどのところで育った若い女性というだけで、結婚も断られたり、様々な差別を受けたりするのは間違いないでしょう。そして何よりも、こんな高い線量のところに住み続けたら、健康被害がないわけがない。遠く関東ではちょっと線量が高いだけでも大騒ぎなのに、政府は、ストロンチウムさえも検出されている高線量の地域に、本当に人を住まわせるつもりでいるのでしょうか。
政府や有識者が打ち出している除染案は、あまりにも非現実的すぎます。そして膨大なお金のかかること。そんなお金があるのであれば、早く避難者に財産の補償をして、新たな土地でやり直す選択肢を与えるべきです。現在補償されているのは、慰謝料(最初は20万円でしたが、その後6ヶ月毎にどんどん半減されていくそうです)や失業補償や住居費(月々6万円)だけ。それでは、新たに家財道具を買い揃えたり、家に置いてきた生活必需品を買い揃えるのにも足りず、とても新たな土地でやり直すことは出来ず、皆老後のたくわえを切り崩して、生活必需品を買い揃えているのが現実です。
先日行政側や有識者を交えて、「復興委員会」が開かれ、父もその委員の一人として出席してきたそうですが、まさに「机上の空論」を振りかざす有識者らに、真っ向から意見して、行政側や有識者らのブラックリストの筆頭に上がったような感じだったそうですが、本当に、行政側も有識者もひとごとではなく、「自分が住む」ということを仮定して物を言ってほしいものだと思います。
久々のブログが長くなってしまいました。
それでは暫く留守にしますが、皆様もお元気で。