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July 29th
2011

ゴーストタウンと化した故郷の今

カテゴリー: My Life / My Disney, Weblog, 東日本大震災

 

先日両親が、関係役所から事業所枠での一時帰宅の許可を取り、原発10キロ圏内にある自宅へ、一時帰宅してきました。


 (3月末に訪れた時の故郷の町) 

その前に自宅へ戻ったのは、20キロ圏内が法的強制力を持つ「警戒区域」に指定される前の4月のこと。以前ブログにも書きましたが、その時は私も一緒に帰宅して、貴重品などを持ち出しました。

 

今回私も一緒に一時帰宅を果たしたかったのはやまやまでしたが、「警戒区域」になってからは、そこに住民票のない私には許可は下りないでしょう。実際両親もこの許可取得には、申請に長期間を要するかなりの量の事務手続きが必要だったとか。

 

放射線量に関しては特にそんなに心配はしていませんでしたが、一番心配だったのは、実家までのアクセス。4月に一時帰宅をした時は、津波被害のない西方面(郡山方面)からのアクセスでしたが、今回は北方面から、津波被害のあった国道6号線を通っての行程。4月の一時帰宅に先駆けて、ペットレスキュー活動をおこなっていた社団法人UKC JAPANさんに同行して、私が国道6号線を仙台方面から南下したのは3月の終わりのことでしたが、当時は津波の水が引かない場所、国道にかかる橋が今にも崩壊しそうなくらい崩れていたり段差が出来ていたりして、迂回を強いられたところも何箇所もあったので、道路の安全面が一番気になりました。

 

当日は落ち着かない気持ちで1日を過ごし、夜、両親が現在退避している町に帰った頃を見計らって、電話をしてみました。


 (3月末には冠水したままの場所もあった国道六号線) 

心配していた道路状況は、3月の終わりの時よりもずっとよくなっていたようで、津波の水も引いていて、特に危険はなかったとのことでしたが、一通り故郷の現在の姿について両親から話を聞いて、一時帰宅の苦労をねぎらって電話を切った後・・・久しぶりにとても陰鬱な気持ちになり、仕事をして紛らわそうとしても、じっとパソコンの前に座っていることも出来ないようなどうしようもない気分になり、夜の山道(→家は山の上にあるので)に飛び出し、1~2時間ほどあてもなく走ったり歩いたりしてきました。

何も考えずに走っているうちに、気持ちが少し落ち着いたので、家に帰ったのですが、その夜はなかなか寝付けませんでした。

 

両親から聞いた現在の故郷の姿は、私が想像していたよりもずっと悲惨なものでした。以前4月に帰宅した時には、家はそれほど荒れ果ててもいなかったので、それがもう少し雑草なども伸びてちょっと荒れた感じなのかな・・・野生化した牛や犬猫が走り回っているかな・・・と想像していました。

 

ところが・・・やはり町というのは、一旦ゴーストタウンになると荒廃がものすごいスピードで進むのですね。その後の余震でか、はたまた地盤沈下によるものなのか、町中の舗装道路は4月に尋ねた時よりもずっと崩壊やひび割れが酷くなって、車が通るのも大変なところもいくつもあったとか。そして、未舗装道路や田畑、そして家の庭などは、背丈にも及ぶような雑草が生い茂り、家に続く未舗装道路を車で通るのもやっとだったとか。


 (これも3月末に撮ったものですが、こうした津波被害は、原発退避区域ではほぼ手付かずのまま) 

家の庭や田畑は文字通り伸び放題の草原状態。母が長年手入れをしてきた英国風庭園も、去年亡くなった祖父が大切にしてきた日本風庭園も、どちらも見る影もなかったとか。そしてまた、地震で半壊した蔵も更に倒壊が進んでいたそうです。


 (4月はこの程度でしたが、今はもっと崩壊が進んでいたとか) 

そして私が何よりショックだったのは、町がゴーストタウンになって、人間の生活音が全く聞こえないだけでなく、犬や猫の声はおろか、小鳥などの小動物の声も全く聞こえない静寂の世界だったということでした。

全部とはいかないまでも、たくましい犬猫たちは、虫や鳥などを食べて生き残って野生化しているのではないか?と、その生存にちょっと期待を持っていたのですが、犬の姿は皆無。猫もほんの数匹しか見かけなかったとか。


 (この隣の猫は、まだ元気そうだったとか) 

猫は体も小さいし、ネズミや虫などを食べて何とか生き残っているのもいたのでしょうが、やはり体が大きく、より多くの食物を必要とする犬は、生き残りが難しかったのでしょうか・・・。その末路を考えると、本当に気持ちが打ちひしがれました。

 

ブログには書きませんでしたが、4月に一時帰宅した時から、ずっと心にひっかかっていて、1ヶ月くらい毎日のように思い出しては暗い気持ちになっていたことがありました。

それは、隣の家の犬2匹のことでした。一時帰宅した時、家に残っていた犬の餌を山のように隣の家の犬の傍らに積んで、飲み水(雨水が溜まるように)のために、洗面器なども置いてきたのですが、その当時、町ぐるみでの一時帰宅がその1週間後にも計画されているというニュースを聞いていたので、2匹の犬たちのリードははずして来ませんでした。リードをはずしてしまっては、その後一時帰宅するであろう隣人たちと会えなくなってしまうからです。


 (4月に一時帰宅した時の隣の犬)


 (同。もう一匹) 

ところが・・・手続きの遅れでなのか、国や県の意向でなのか・・・計画されていた町ぐるみでの一時帰宅は遅れに遅れ、結局実施されたのは、それから1ヶ月以上も経ってからのことだったのです。

 

あの時、あの犬たちのリードをはずして来なかったことを、本当に後悔しました。毎日あの犬たちの顔が浮かんできてつらい気持ちになりました。

でも・・・今回一時帰宅した両親たちが、周辺を歩いてみても、崩壊してしまったお墓まで歩いていって花を手向けてくる途中にも・・・全く犬の姿はなく、鳴き声も聞こえなかったそうです。

 

ただ、両親が家に戻ってまもなく、音を聞きつけて2匹の近所の猫がやってきたそうです。その猫たちは特にはやせ細ってはおらず、おそらくは、犬も猫も数が激減して生存競争も減ったので、虫やネズミを食べて生き残れるようになったのでしょう。それでも、人恋しさに音を聞きつけてやってきたというのも不憫な話でした。どこの家も納屋などに備蓄米などがあるでしょうから、当分はネズミなどの小動物や虫などを食べて生き残れるとは思いますが・・・。

 

それにしても、鳥の声も聞こえないゴーストタウン・・・朝は鳥のさえずりで目を覚ますような、あの自然豊かな故郷はもうないのだ・・・と、ショックでした。鳥がいない理由は、おそらくは田畑には食物になるような穀物も虫もないことが大きな理由かとは思います。カエルは水田に水を張らなければ、産卵する場所もありません。

 

ゴーストタウンを唯一我が物顔で闊歩していたのは、野良牛たちだったそうです。

そのために、町中や道路は牛糞だらけ。食料となる草には不自由しないので生き残っているのでしょうが、高い放射線値を示している土壌に育った草を食べている彼らも、寿命を全うして死んでいくことが果たして出来るのか・・・。

 

ちなみに、放射線量については、両親は測定器を持っていきましたが、地上1mの位置くらいで持ち歩いて、放射線量は屋外で2~5マイクロシーベルト。家の中で1.4マイクロシーベルトほどだったそうです。土壌汚染マップでは、原発周辺でもほぼ最高値に近い土壌汚染度になっている我が家のあたりでは、土壌に近づければきっとその値も跳ね上がるのでしょうが、短時間の一時帰宅で普通に行動し呼吸する上では、特に両親の健康を害するものではなかったと思います。

 

それにしても・・・

地震や津波で酷い被害を受けた地域は多いものの、その震災当日よりは、ペースにこそ差はあれども、どこも確実に復興に向かって前進しています。それなのに我が故郷は・・・震災当日のまま時が止まり、復興に向かって前進することはないのです。

 

故郷で過ごした学生時代は、華やかな都会に生まれなかったことを残念に思うようなこともよくありましたが、故郷を離れて時間が経てば経つほど、あんなに自然の恵み豊かなふるさとがあることは、実はとっても恵まれたことなのだと、感じるようになっていました。

特に両親が年老いてきた近年は、両親たちが更に年老いて動けなくなった頃に、あの故郷に生活のベースを移す自分の生活のことも、人生設計に具体的に入ってきていただけに、より一層故郷への思いは強まっていました。

 

8月の初めに、実家が檀家になっているお寺の僧侶が、隣町の南相馬市で合同慰霊祭を執り行うということで、去年亡くなった祖父の一周忌の法事も兼ねて、南相馬市へ行くことになりました。今回の津波で家族を失った同じ町の方々も出席されるので、久しぶりの知人や友人との対面も、喜べるものではないとは思いますが、故郷の近くにいける機会・・・そして、祖父や弟の墓参りも出来なくなった今、お参りをする絶好の機会なので、行ってきたいと思っています。

 

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コメント / トラックバック24件

  1. adelie より:

    今月は、南相馬市原町区と、いわき市久ノ浜町を訪問しました。
    前者は何艘もの漁船が田んぼに裏返ったまま、後者は津波の錆なのか火災の跡なのか、瓦礫を撤去した更地に赤茶けた車がゴロゴロ。
    どちらも一時期屋内退避地区でしたね。
    復興まではかなりの長期戦になりそうな印象でした・・・。

  2. 斎藤美香子 より:

    adelieさんへ

    おお、南相馬市と久ノ浜ですか!!ボランティア活動か何かでいらしたのでしょうか?
    福島県へのボランティアは、他県に比べるとずっと少ないので、有難い限りです。

    私のブログ仲間の方も、関西から被災地へ仕事を休んでボランティアに来てくださいました。
    これからも継続されるとのことでしたが、本当に、adelieさんやその方のように、行動を起こされる方々には勇気付けられます。

  3. adelie より:

    ごめんなさい、ボランティアではありません。
    自分には何ができるか考えたくて(+同じお金を使うなら、報道されていない被災地の方がいいかなと考えたりして)、あまり報道されていないところに立ち寄ってみただけです。

    現地では、地元の方とお話する機会がありましたが、津波の恐怖を語ってくださった方や、避難生活の苦しみ、終わりの見えない復旧作業、頭から去らない原発への恐怖など、皆様のストレスは私などの想像を絶するものがあると感じました。

    結局、自分の中でたくさんの宿題をかかえて帰ってきたような気がします。

    ちなみに、被災地ペンギンも、情報のあまりないところ中心に回っていたり(苦笑)。
    日立、那須、二本松、仙台市内・・・ですね。
    中でも二本松(東北サファリパーク)は・・・本当に人がいなかったです。

  4. 斎藤美香子 より:

    adelieさんへ

    いえいえ、こちらこそ決め付けてしまって失礼しました(汗)。
    でも、被災地応援で、宮城などに足をのばしてくれる人は多いですが、福島だとやはり放射能が心配なのか来てくださる方も少ないので、adelieさんのように報道されない場所に積極的に来てくださると、地元の方々は嬉しいと思いますよ。久ノ浜はアクセスは難しくないですが、原ノ町まで行くのはバスの乗り継ぎなどもあって大変だったでしょう。

    事故の時の風向きと雨のせいで、我が実家も含めた内陸北西部の線量は高いですが、海岸線は思ったほどではありませんよね。南相馬市も広いし、場所によっては線量もそう高くないので、単純な線引きには住民の方々はいろいろな葛藤があると思います。

    東北サファリパークのようなところは、動物の維持費も大変だと思うので、客足が何とか戻って、動物がつらい立場にならないことを祈るばかりです。

  5. Uk より:

    避難地域と、そうでない地域の復興格差が広がっていく様子は、メディアからの情報だけでも、ある程度は想像がつきます。その状況を当事者として感じながら日々過ごすのは、さすがに大変なストレスでしょうね。
    特に高齢の方たちにとっては、なおのことそうではないかと思います。
    地域ごと封じられて動けない上に、先の見通しも立てられないのですからね・・・
    私も今は何も出来ないので、福島産の果物を買ったりするぐらいしかしていませんが、いつか何か出来ないかなと考えたりもします。復興に向けて人の手が入るようになる日が、一日も早く来ることを願いたいですね。

  6. リリス より:

    ゴーストタウン・・・寂しい響きですね。
    人が去り、鳥が去りやがては動物たちも消えてしまうのでしょうか。
    それが故郷であったならどれほど悲しいことか。。。

    リードを外してこなかったワンちゃんはきっと何処かで逞しく生きているとお思いたいです。

    娘が夏休みに大学で行われる「東洋大学東北応援プロジェクト」に応募しましたが
    応募者が多く、残念ながら参加出来ませんでした。
    機会があればまた応募すると行っています。
    今日も朝方、大きな余震がありましたが大丈夫でしたか?
    一日も早い復興を願うばかりです。

  7. 心落ち着かせようと、夜道を走るTABIさんの息遣いが聞こえるようです・・・・>。< 
    電柱の陰で、そっとTABIさんを見守るしかない自分です。
    何度も読んだけど、うまい言葉が見つからないわ。
    原発の処理が軌道に乗りさえすれば、きっとそこから復興に手がつけられる! と信じてます。

  8. 斎藤美香子 より:

    Ukさんへ

    そうですね…若い世代は、新しい土地でのやりなおし・・・勿論こんなご時勢ですから、若い世代でも幾多もの困難があるわけですが、若い世代は時間だけは残され、時間があるということは、希望にもつながります。でも、高齢の方々はそうは行かない・・・。おっしゃる通り、高齢の方々の心情は察して余りあります。

    福島産の果物を買ってくださっているのですか・・・有難いことです。以前にも書いたのですが、欧米の市場で「FUKUSHIMA PEACH」という名で、ある種のステイタスを持って売られていた福島名産の桃を何度か目にしたのですが、もうその名では、決して世界には流通しないのであろうことがさびしいです。

  9. 斎藤美香子 より:

    リリスさんへ

    コメントありがとうございます。
    「ゴーストタウン」という言葉、今まで何気なく使ってきましたが、まさかそれが我が故郷に当てはまることになろうとは・・・本当に一度たりとも思ったことがありませんでした(涙)。

    犬たちのこと、そう言ってくださってありがとうございます。
    人の気配を求めて、人里まで長距離移動したのだと、信じたいです。

    おお!娘さんがそんなプロジェクトに!!
    そのお心が嬉しいですね。参加できなかったのは残念ですが、それだけ応募者が多かったというのも、勇気付けられるお話です。

    今朝は震度4ほどでした。おかげさまで特に被害はありません。ありがとうございます。

  10. 斎藤美香子 より:

    シャンティcocoさんへ

    夜道を切羽詰ったような様子で走る…ハハハ…これがドラマなんかだと、若くてキレイなヒロインで、そこで新しい出会いなんかが生まれちゃうのかも知れませんが、私の場合はただ怪しかっただけで、一歩間違えると警察に通報されたかもね(爆)。

    そして電柱の陰で見守るcocoさんも(笑)・・・いつもストーカーのように、電柱の陰で見守っていてね(爆)

  11. トム より:

    う~~~ん、厳しい状況に変わりはないのか・・・と残念に思います。
    復興どころか悲しい現実ですね((+_+))

    昨日、私も実家の近所で犬の散歩をしていて、
    TABIさんのことを考えていましたよ。
    ある日突然、当たり前にある故郷に戻れなくなってしまう・・・。

    どんなに考えてもTABIさんのお気持ちには近付けないけど、
    時間が流れる中で、また福島に戻れる日が来ることを願っています!

  12. Takema より:

    今日は茨城南部をバイクで走ってきたのですが、メインロードは
    ともかくとしてもちょっと道を外れると市街地でさえ道はぼこぼこ、
    電柱もいまだに斜めに傾いたままでした。

    でもそれはある種の「順番待ち」状態であり、人出と予算の目途が
    つけばかなりすぐにも「元通り」になるはずです。
    しかし原発絡みのエリアとなると‥残念です。

    6月半ばに行った広野町は避難準備区域ではありましたが、
    作業関係の車こそ通っていたとはいえどの家もカーテンが閉じられ
    「誰もいない‥」。南下してゆくにつれ徐々に「人の気配」が
    感じられるようになっていったのが強く印象に残っています。
    しかし避難地域内は今もまだあの時のままなのですね。
    本当に残念でたまりません。

    ところで昨日までの3日間は福島と山形に行っていました。
    GWに福島盆地のフルーツラインを通った際に
    農家の方々が受粉作業をなさっている姿を拝見し、
    「夏には絶対桃を買いに来るぞー」と決めていたのですが、
    今回その桃をしっかり購入。直販店と無人店舗それぞれにて。
    ついでにお米も買い込みました。さすがにまだ2010年産米ですが。

    ちなみに帰り道にはご両親がおられるという某温泉を経由したので、
    「TABIさんご両親の家はどこだろう、新築のはずだぞ!」と
    目を皿にして探したのですが見つかりませんでした(大笑)。

  13. マツケン より:

    暗い夜道へ飛び出さずにはおれなかった心境。読んでいて胸が締め付けられます。
    気の利いたコメントも書けません。

    政府と東電の責任で一日も早く故郷再興出来る事を願わずにはおれません。

    犬や猫、野良牛たち、そして草原のようなかつての庭園の様子も、現場に入った方でないとわからない悲惨さ。
    何ということだ。

    TABIさん、めげるのはしょうがないけど、折れないでね。

  14. manchot より:

    復興しやすい所から、手をつけて行き、見栄え?が良くなったら、汚染地域(こういう書き方はしたくないけど)は、もうここまで荒廃してしまったら、そのままにしておくのがいいだろう。とうまく言い訳して、まるでチェルノブイリみたいに有刺鉄線張って、出入り禁止地域にしてしまうような気がします。
    そして、最後の言い訳は「自然災害には勝てない」という的外れな発言!!ちゃうやん、今問題なのは「原発」やん!!
    やがて、「しかたない」と元住人に思わせて、微々たるお金で解決!!(したことにするだけ)それがお国のやり方なんでしょうね。

  15. adelie より:

    よく報道される宮城県や岩手県、原発に近いが警戒区域外の福島県、そして警戒区域内・・・3通りの格差が出来てしまっていますね。
    茨城県北茨城市も、国道6号線や常磐線の線路まで津波が押し寄せたそうで(地元の方のお話)、しかも原発に近いことから多くの方が一度は退避され、トラックも物資を届けてくれず途中でUターンしてしまうということで、避難せず残った方も、一時は物資の欠乏で大変な思いをされていたそうです。
    すぐ北のいわき市と違い、東北地方ではないことから、アナログ放送も容赦なく終了。
    今の状況を見ていると、人の目が届きやすい宮城県以北よりは、やはり福島県や茨城県などの方が気がかりになりますね。

    Takemaさん広野に行かれたのですか~。
    私は車がなかったことから、鉄道&バスで行けるところまでしか行けず、北は原ノ町駅、南は久ノ浜駅までです(今日から広野までバスが走り始めたそうですね)。
    広野と原ノ町、どちらも原発からの距離は20数キロで余り変わらないと思いますが、役所機能が市内にそのまま残っている南相馬市と、第二原発10キロ圏内で早々に避難区域となった広野町とでは、雰囲気は大きく違うのかな・・・と想像しています(インフラの回復状況も違うのかな・・・)。

    マリンピアクラブの方には大変申し訳ないのですが(汗)、時間や金銭には限りがありますので、被災地ペンギンはマリンピア松島以外から先に巡っています(滝汗)。
    ペンギンサイトを見ていても、マリンピア松島以外の情報はあまりないので・・・ということで、被災地ペンギン5館目として大洗に行ってきました。(実はアクアマリンふくしまも訪問していますので、被災園館としては6館目)
    高台にあるので展示場自体は無事でしたが、生き物たちへの停電の影響は少なからずあったそうです。
    入館者が半減しているとのこと。原発事故の影響だろう、ということです。

  16. 斎藤美香子 より:

    トムさんへ

    トムさんのやさしい心遣い・・・ホントにありがとう。
    震災以来、ずっといろいろな形で応援してくれて、ホントに感謝してます。

    でも・・・起きてしまったことはもう覆らないから、何とか気持ちに折り合いつけてやってくしかないよね。
    畑仕事も、心の癒しに役立っているわ。キャハハハ

  17. 斎藤美香子 より:

    Takemaさんへ

    え~~~~!!某温泉を経由したんですかっ!!
    なんだ~~~前もって声かけてくだされば、新しい実家でTakemaさんに会えたかもしれないのに(涙)

    今度はホントに絶対絶対声かけてくださいね。仙台から車飛ばしていきますので、是非実家に泊まって、お風呂はいっていってください。

    今回は福島&山形だったのですね。しかも福島の桃を買ってくださったとは、何とありがたい(涙)。
    別のコメントへのお返事に書いたように、世界中で珍重されていたFUKUSHIMA PEACHが、今や国民でさえも食べるのにためらいを感じるであろうことが、とっても寂しかったので、ホントにうれしいです。

    広野あたりは、やっぱりお子さんとかが心配で、避難している人も多いと聞きます。
    いわき市はこのところは大分活気が出てきたようですね。何でも火力特需で、火力関係の作業員などの関係者がアパートなどを押さえていて、空き物権はほとんどないとか。食べ物やさんも、同じ理由で結構人が入っているとか。

    Takemaさんが何度も何度も福島を訪れてくださっているの・・・ホントに嬉しいです。ありがとうございます。

  18. 斎藤美香子 より:

    マツケンさんへ

    いやいや、マツケンさんにも震災以来たくさん励まされてますよ。
    先日、実家からマツケンさんの有機肥料で育った野菜が送られてきました。きゅうり・ナス・トマト・さやえんどうなど。
    今までは実家で取れた野菜もお米も当たり前のように食べていたけれど、今では、このきゅうりやナスたちがいとおしくて、永遠に冷凍保存でもしておきたい気分ですよ。親が作ってくれる食べ物・・・そのありがたみを感じています。

    母も菜園で、大分気持ちの安定を得ていると思います。畑仕事を通じて、隣の畑の人と知り合いになったりもしているみたいですし。
    ホントにありがとうございました。

  19. 斎藤美香子 より:

    manchotさんへ

    う~ん・・・政府は「土壌入れ替え」とか言ってますが、絶対非現実的だと思います。たかだか小学校の校庭1つの土壌入れ替えで、あれほど四苦八苦しているのに、あんな広大な土地・・・山や川まで完全にやらなければ、また汚染水が入り込んで堂々巡りですしね。

    現実的なところは、manchotさんがおっしゃったように「出入り禁止地域」にして、その土地を政府が買い上げ、そこに広大なソーラーパネルを敷き詰める・・・みたいなことかな~と思います。

    でも、その前に・・・そうなんです。一番懸念しているのはmanchotさんがいっしゃっているように、「今回は誰も予想できなかった想定外の自然災害だから、免責・・・」みたいになることです(涙)

  20. 斎藤美香子 より:

    adelieさんへ

    またまた貴重な内容のコメント、ありがとうございます。
    まったくおっしゃる通りですね。茨城も何だか気の毒な立場にあると思います。本震も大きかったけれど、その後何度も大きな余震に見舞われ、それなりの被害を受けているのに、あまり報道されない。しかも、農産物・海産物・畜産物も、福島の原発のあおりをかなり受けていますし。福島内など、賠償対象もはっきりしているけれど、茨城の場合、どこまで補償されるのか心配な関係者も多いはず。

    園館めぐりも、adelieさんがおっしゃるように、松島は大分各方面の支援体制が出来てますが、他のところはまだまだなので、adelieさんのような回り方、すごく意義があると思います。

  21. shoppe より:

    久しぶり・・・。に、訪問したら・・・。
    ご両親、浪江に行かれたのね・・・。

    私は、今月12日に帰国することにしました。
    10日くらいしか居れないんだけど・・。いつもバタバタ・・・。
    今回は、相馬へ行きます。

    常磐道は、使えないでしょうから、東北道から迂回して
    行ってみようと・・・。でも、カーナビに頼らないと、行けないな~。
    犬たちや猫たち・・・。
    何が起きたか分からないよね。

    兄も仕事?で浪江に良く入っているみたいだけど、
    心も体もボロボロだと思います。

    今回も駆け足帰国なんだけど、会えたらいいな~。
    また、連絡するね。

    母が一気に老けていたら、どうしよう・・って、考えています。
    精神的にも、身体的にも、かなり限界になっていると思う。

    でも、電話の声は相変わらず元気なんだよね。
    何だか、逆に悲しくなります。

    考えると、気が滅入るけど、考えずにはいられないのが現実だね。

    それじゃ、また。

  22. 斎藤美香子 より:

    shoppeへ

    コメントありがと。お盆帰国するのか、skypeでもしようと思ってたとこだったよ。
    12日に来るのね。ウチのじーちゃんの一周忌、10日に大聖寺さんが南相馬でやる合同慰霊祭でやることになったよ。

    相馬までなら、アクセスそんなに難しくないんじゃないかな。
    お母さんやお兄さんの顔見て話したいよね。やっぱり。お母さんが心配な気持ちもわかる。
    ウチもなんとなく両親老け込んだ感じがした。

    折角帰って来るんだし、例年みたいに皆とも会いたいよね。
    Mは仙台、茨城のCは両親のいる郡山に来るだろうし、大熊のYは会津だから、どこかで皆で会えたらいいかなという気がしてるけど、どう?
    shoppeの都合が大丈夫なら、私が幹事で皆に声かけるよ。

  23. adelie より:

    こんにちは。
    6日にいわきと郡山に立ち寄りましたが、どちらもお祭りで賑やかでしたね。
    今回の福島県訪問目的は“磐越東線に乗る”で、「ゆうゆうあぶくまライン」という愛称に惹かれ、震災前からやりたいと思っていたからです(実は乗り鉄の気あり)。
    ダイヤが限られていて旅程組むのが大変でした。

    目的の磐越東線はいわき発15:41。いわきでずっとお祭り・・・でもよかったのですが、広野までの代行バスで往復するとちょうどいい時間になりそうでしたので、いったん広野まで行きました。
    久ノ浜から北は代行バスで、鉄道の復旧工事の様子が見えました。鉄道、復旧するのかな・・・
    ただ、広野はやはり多くの方が避難されているようで、日常生活とはかけ離れた雰囲気でした。ぽつりぽつりと戻ってこられた方も見受けられましたが、駅前のお店はすべて閉まっていたように思います。原ノ町とは随分雰囲気が違いました。
    広島県警の方と駅前でばったり。ちょうど原爆忌でしたので、「今朝は黙祷してから仕事です」と言っておられました。

    磐越東線、原発から30数キロの駅が案外多いのに驚きました。
    車窓を見る限り原発事故の影響は感じませんでしたが、最も原発に近い江田駅は常磐線の四ツ倉駅より原発に近いそうで、原発事故の頃はどんなことになっていたのか・・・。
    車内は同じような鉄旅客が数名。一眼レフと青春18きっぷはこの時期あちこちで見受けられますね。

    広野や磐越東線沿線での食料品調達は無理でしたので、いわきと郡山で若干の食料を買い込みました。
    いわき駅近くの青果店、いわき産や福島産野菜に加えて、茨城産や栃木産の野菜も同じ場所に並べていたのが印象的でした(西日本産は数も少なく脇によけていました)。
    さすがに青果を持ち歩いての鉄旅は厳しいのでパスしましたが、いわき産キュウリを1本その場で買い食いしました(笑)
    広野や富岡の焼鳥屋さんが来られていて買い物しましたが、結構美味でした♪

    磐越東線とペンギンの組み合わせはさすがに無理でした。
    被災地ペンギン、松島は皆様から情報がいただけますし、鴨シーは福島の海獣を預かるくらいですから大丈夫かな・・・?と希望的観測。情報がないのが銚子市の犬吠埼マリンパーク(お隣の旭市は津波で亡くなられた方が何名か)ですが、8月は遠出自体が難しい状態ですので、訪問出来るかどうかは微妙です。

    お墓参り出来ないのは辛いですね。
    私の場合も、最近亡くなった、可愛がってくれた親族のお墓が某原発から10キロ圏内にあります(福島県ではありませんが)。
    福島原発ではなくその原発が同じような事故を起こしていれば、TABIさんのお辛さの一部分は我が身でした。
    私の場合はお墓だけですが、そこを故郷としておられたTABIさんやご家族の心中いかばかりかと思います。
    間もなくお盆ですが、どうぞお疲れの出ませぬよう。

  24. 斎藤美香子 より:

    adelieさんへ

    おお!adelieさんが鉄子さんだとは、初耳です!乗り鉄ですね!!しかも磐越東線とは渋いですね。

    とにかく、遠く陸前高田の数値的に異常のない松を燃やされるのにも、反応するくらいの人々(→この話は酷いと思いました)がいる中で、福島に足を運んでくださる人もいるというのは、福島県出身者としては、とても温かい気持ちになります。しかも、adelieさんの場合3度目(?)ですよね(涙)しかも、他の方々も目がとまる場所で、こうして訪問記を詳細に書いてくださるのも、ありがたいです。

    いわきは、火力需要(建設関係者とか)で、不動産や宿、食堂関係が結構満杯と聞きます。まあ、観光客でにぎわうのが一番理想的な姿ですが、それでも、たとえ火力需要であっても、とりあえず町の経済が何とか回っているというのは、ほっとする話ではあります。

    私はこれから避難中の両親宅に行きまして、明日、南相馬市で行われる合同慰霊祭に出席してきます。また、来週は散り散りバラバラになった仲良し幼馴染らとともに、福島で同窓会です。

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