2000年代初めまでは、インド亜大陸、中でも頻繁にインドを訪問していました。その回数は約60回。インド大使館からは特別措置で、約10年の間に、5年間有効のビザを2回発行してもらっていました。

エドモンド・ヒラリー
世界で初めてエベレスト登頂に成功した故エドモンド・ヒラリー卿とその奥様とともに

さて、ここまで「フォークランドがライフワークになった」の背景の1つである、インドでの状況について述べてきましたが、ここで、そのもう1つの背景について述べなければなりません。それは、

私がかなりの「航空オタ」である、ということ。

ちょっと長くなりますがお付き合いください(*^^*)

20代の頃から熱烈な航空オタクであった私のバイブルは、分厚いOAG(全世界の航空時刻表)。日々OAGを読み込むことが、私の大きな楽しみでした。

そのおかげで、合格率10数%の難関資格の1つとされる「総合旅行取扱管理者資格」(海外旅行を取り扱う旅行代理店には、必ずこの有資格者を1人以上置かなければならない規定があります)に、趣味のノリで挑戦した時も、全くの門外漢だった国内鉄道事情を勉強したくらいで、すんなり合格してしまったほどでした。

当時インドは、世界の中でも「最も航空券が安いところ」でした。日本で購入するエコノミー割引航空券とほぼ同価格で、インドでは「日本までのビジネスクラス正規運賃」、または「日本を経由してアメリカまでのエコノミークラス正規運賃」の航空券を購入することが出来ました。

正規運賃というのは、何区間にも分けて、違うエアラインを複数使うことが可能なので、例えば、「デリー(インド)~カラチ(パキスタン)~ラホール~アルマトイ(カザフスタン)~ソウル(韓国)~福岡~仙台~シンガポール~バリ~バンコク~コルカタ~デリー」で発券して、パキスタン航空・ルフトハンザ航空・アシアナ航空・ANA・JAL・シンガポール航空・タイ航空・インド航空のビジネスクラスを、日本で購入するインド往復エコノミー割引運賃とそう変わらない価格で堪能することが出来たのです。

ウズベキスタン
キルギスタンイシククル湖近く。「シルクロード」シリーズ第二弾ビデオパッケージ取材時訪問。

更に、今はデルタ航空に吸収されてしまったノースウエスト航空があった頃は、インド発の世界一周航空券を、日本で購入することが出来ました。

後にワンワールド、スターアライアンス等の航空連合が出来上がって廃止にはなったのですが、ノースウエストと、シンガポール航空、タイ航空、エールフランス、KLMといった一流航空会社との組み合わせの世界一周航空券が存在し、しかも、インド発は格安でビジネスクラスで20万円ほど。

1ドル80円の超円高の時代は、10万円台で購入したこともありました。

これを使って、「インドでのロケハン後に、ちょっとロンドンでミュージカルを見てこようかな」と、気軽に短期間で世界一周航空券を使った旅を何度もしました。機内食も、今はキャビア等はファーストクラスでしか出ないようですが(笑)、当時はビジネスではほぼ食べ放題状態。勿論マイルは貯まり放題で無料航空券も何度もゲット。そうなると、さらに実質の航空券代はどんどん下がり・・・ということで、本当に良い時代でした。

特に一番おいしかったのは、ワンワールド航空連合が出来た時の「5つの異なるワンワールドの航空会社に乗って、ボーナス10万マイルをゲットしよう!」キャンペーンの時でした。

この時は、区間を細かく分けた旅程で15区間を2回のインド行で飛び、キャセイのFFPで5区間のボーナス10万マイル、JALのFFPで5区間のボーナス10万マイル、英国航空のFFPで5区間の10万マイル、合計30万マイルのボーナスをゲットしました。

大体10万マイルで日本~ヨーロッパのビジネスクラス無料航空券と交換できるので、インド2回分の航空券、大体35万円ほどで、割引運賃でも60万円くらいにはなる日本~ヨーロッパのビジネスクラス航空券を、3セット(180万円!)ゲットしてしまった計算になります。

勿論取材班と一緒の時は、日本で皆さんと同じ航空券を購入していましたが、ロケハンや取材許可交渉などで自分だけで行く時は、インド発の航空券を利用して、趣味(航空オタ)と実益を兼ねた旅をしていたのです。

そして、2000年代初め。

時代は先述したように航空連合の時代。

ワンワールドが世界一周航空券を出す頃には、世界でも最も航空券が安かったインドも段々と価格が上昇し、あまりおいしさがなくなっていた頃でした。

今は日本発のワンワールド世界一周航空券は60万円以上するのですが、ワンワールド世界一周航空券が発売され始めた頃は、日本でソウル発ビジネスクラスのものを30万円台から(行く大陸数で値段が変わり、30万円台は3大陸)で購入することが可能で、最初のソウル~東京区間を乗らずに破り捨て、実質日本発として使うことが出来たのです。

残念ながら今は、日本で発券する場合は、高い日本発の料金でしか買えなくなってしまいましたが・・・。

ここで話は航空オタの話から、以前の

「最大のクライアントがインド取材から手を引く・・・さあ、どうしよう、という人生の転換期」

の話へ戻ります。

2003年、私は、結果的にはインドでの最後の取材となる、フジTV系列のインド・ネパール・ブータンを舞台とした、2時間ドキュメンタリーの最終準備とロケハンのために、インド・ネパール・ブータンを訪れることになったのです。

「インドもこれが最後の取材かもなあ・・・そろそろコーディネートの仕事も潮時かなあ。この取材が終わったら就職活動かな・・・。だったら、その前に行ったことがない場所にも行ってみたいな。」

ということで、私は、ワンワールドの世界一周航空券を買って、ロケハンに行くことにしたのです。

「どうせ、同じ料金なら、珍しいところ、なるべく遠いところに行った方がいいよね。」

ということで、バイブルであるOAGをペラペラとめくり始めました。

その前の年2002年に、私は初めて南米大陸に足を踏み入れていました。行き先はチリ。世界の大陸の中で、私にとっては最も未知の世界が南米大陸でした。

「南米大陸でワンワールドのラン航空(現在のラタム航空)が飛んでるとこで、なんか珍しいところないかなあ」

OAGをペラペラとめくっていて、まず見つけたのが、イースター島でした。

「おー、ラン航空でイースター島行けるじゃん!!チリの首都サンティアゴから片道6時間なんて、マイルも貯まるし、ここいいねえ♥」

行き先はほぼイースター島で決まりだったのですが、世界一周航空券では、南米内は4区間まで同料金だったので、基点となるサンティアゴから他に何か面白いところはないか探し始めました。

「マウント・プレサント??英語名じゃん。しかもサンティアゴから所要7時間!?しかも、1週間に1便しかないじゃん。これってどこ?」

(つづく)

6 thoughts on “フォークランドがライフワークになった訳(3)”

  1. ステキステキ
    中々時刻表まで網羅してる航空オタクなんて居ないよ❗️
    一緒に旅したみたいよ

    1. レイちゃん、コメントありがとう♥
      鉄オタの時刻表のノリと同じだったね(;^ω^)ははは・・・

    1. mizueさん、いつも読んでくれてありがとう♥嬉しいわ。

  2. いや~~、面白い!
    美香子さんはやっぱりすごいや。
    もしかして、NHKシルクロード2にも関わっていたんですか?私が中国と関わり始めたのは、あの番組の影響が大きいんです。
    続きを期待しています!

    1. マツケンさん、コメントありがとうございます(*^^*)
      私が関わったのは、DNPのビデオパッケージ「シルクロード」でした。
      ディレクターは、NHKのシルクロードのディレクターでした。

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